躁×鬱

どうしようもないわたし

けえかほおこく1「拙劣な精神とアンビバレント」

 独りであること、未熟であること、これが本ブログの原点である。

 

 このブログは私が自慰的な告白を述べることで、インナーチャイルドを慰めようとするものだ。

 

 さて、本ブログのタイトルの「躁」×「鬱」であるが、これは本ブログのテーマを表象徴する2つの単語である。人は誰しもアンビバレンスを感じながら生きている。楽しさの絶頂にある中でも、不安の影が表象として私達の世界を脅かすことは珍しくない。その逆もまた然りで、不安で押しつぶされそうな時でも楽しいものは楽しい。そんな相反する形而上的体験について躁鬱を軸にしつつも、その他のテーマについても多元的に述べていこうとおもう。文章を書く能力に乏しいばかりでなく、語彙が鮮少であるため読みづらい文章になるがご承知おき願いたい。

 

 

 私がこのテーマで書いていこうと思ったきっかけは種田山頭火である。

「分け入っても分け入っても青い山」

ーー種田山頭火『草木塔』

 彼の作品の中で最も有名なものの一つである。走り続けても一向にゴールが見えないさまを表した見事な俳句である。一見ネガティブに捉えられるこの作品だが、注意深く鑑賞するとこの上ないバイタリティを感じる事ができる。というのも本当に絶望しているとしたら「分け入る」ことはなく立ち止まるはずである。希望が見えずとも走り続けている様子を表現したこの詩はまさしく【「躁」×「鬱」=アンビバレンス】というこのブログのテーマの濫觴なのである。

 

 

 さて、このブログ内の記事は「けえかほおこく」という題でナンバリングしていく。あまりにも有名な作品のパクリなので説明なんていらないと思われる方も少なくはないかもしれないが紹介させていただく。なんとも頭の悪そうなこのタイトルはダニエル・キイスの有名なSF小説アルジャーノンに花束を早川書房 小尾芙佐訳)」の主人公・チャーリーの作成した手記からとっている。この作品のあらすじとしては知能が低いが知識欲のあるチャーリーが「しじつ(手術)」によって知能を高めていく、、といったところだろうか。知能が低い主人公の言語能力を、漢字を使わないことによって表現した名訳である。

 

 私自身の持つ特性はチャーリーとアナロジーを見出すことが容易であった。私自身も対して知能は高くなく、学問的な発達・情緒的な発達がかなり拙劣なまま成長してしまった。しかし、衒学的ナルシズムは捨てることができず大して身にならない学びを繰り返す日々を送っている。現実を直視しないインナーチャイルドに支配されているのである。チャーリーは知能が発達するに連れ語彙が高まり「けえかほおこく」から「経過報告」と書き方に変遷が見られるが、私自身はいつまでも未熟である。そんな私自身を自虐的したタイトルとしての「けえかほうこく」なのだ。

 

 自慰的な作品紹介を終えたところで「けえかほうこく1」は終わりとさせていただく。今後も私が鑑賞・消費している作品について述べていけたらと思う。先にも述べたが、多元的に書いていこうと考えているので様々なジャンルで書いていくことになるだろう。読者諸君の琴線に触れる記事が一つでも生み出せるのならば、私のインナーチャイルドも本望なのかもしれない。